「前立腺がん、肺がん、大腸がんと共存していこう」
〜私の前立腺がん、肺がん、大腸がんの“闘病記”〜
がん(癌) 恐れるな(うろたえるな) 但し侮るな!
がんで余命3ヶ月の宣告を受けたにも関わらず、現在は夫婦で沖縄旅行へ行けるようになりました。
平成17年 腸閉塞(イレウス)〜余命宣告。
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- 平成17年9月16日(金) 【余命3ヶ月との宣告】
- 息子が付き添いにてN先生病状の説明の後、相談、先生に抗癌剤を中止すると言うと驚かれた。
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先生:「本人の決心が変わらなければここで中断しましょう但し寿命は短くなりますよ。」
私:「寿命はどのくらいですか?」
先生:(言いにくそうに)「あまり長くないねえ。」
息子:「親父の余命はあと3ヶ月だよ。」と言う。
私:「先生本当ですか?」
先生:気の浮かない顔でうなずき「ホスピスケアーを紹介しますよ。そしてポートとの抜取手術を今日行います。」 - 同抜取手術AM10:40〜11:50終了。
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先生:「中尾さん、残念ですね。」と言われる。(どういう意味だろうか?)
いよいよ、我が息子と家内の癌の代替療法に専念する事となる。やんぬるかな・・・。
『今迄は自分が描いてみた老人像、明るい親切、熱意を持って怒りは一番の天敵、七つの言葉、七福神ならぬ祝福神を唱和し実行・・・社会のために尽くす。必ず実践しよう―要は笑顔。有難うを!!』 - その後、体調も小康状態。大腸がんの手術後の便の切れが気になる。
体調は疲れやすいが悪くは無い。
- 平成17年10月10日〜18日 【懲りずにまたイレウス】
- 家内不在(娘との台湾旅行)の為、遺族会からの支給の朝弁当を、夜10時頃頂く(少し硬めで違和感があったが)後、夜中、腸の詰まりにて痛みの症状が1日続く。
- 平成17年10月10日
- 前回行ったO病院(主治医、I先生)に救急入院。
- 平成17年10月11日
- 11日、イレウスでガン細胞が小腸をふさいでいる可能性有り。腹水も有るとの事で長期入院覚悟する
- 平成17年10月12〜17日
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高熱(38.0〜39.0度)が連日有り、10月16日よりオカユが出るも食欲全く無し。その内、小便の回数夜中異常に多く10数回、まるで寝る暇が無い。
右の腎臓が機能不全との事で「当病院では中尾さんの腸の手術はできない。医療センターに転院して行ってください。」との事。
医療センターN先生へ連絡取るもベッドが空いてないとの事で、このまま治療を行う。この間、泌尿器科の先生より導尿方法、教示頂く。
- 平成17年10月16日
- この日よりサイマテックを持込、音響療法を行ってきたが、この効果か?便が出た。
このまま病院で点滴を行い続けるよりも良いと考え、18日退院する。
- 平成17年10月22日
- 体調かんばしく無かったが、以前より予定していた息子の嫁の両親との当家にて食事会。
まずまずお役目果たせたことを喜ぶ。
- 平成17年10月23日 【母の7回忌】
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昭和20年5月、父は陸軍病院薬剤官にて赴任中ビルマ戦線にて戦死、お骨も帰らない夫の死後、5人の遺児を抱えて家業の薬屋を奮闘維持してきた、たくましくも賢い母でした。92歳にて天寿を全う。身内のみ12人で母を偲ぶ会をしたのでした。
(このときの写真を掲載)
- 平成17年10月24日
- 前日の多食お酒のせいか、この日再度、腸閉塞気味。
またO病院にて点滴。
- 平成17年10月26日
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医療センター受診。
「癌はだいぶ大きくなっています。大便小便共に詰まりが起こりましたら手術にてバイパスを作りましょう。」と。又「今後は流動食にて注意して食べて下さい。」と言われる。
熱もこのままで仕方が無い・・・。 -
この日の症状
- 微熱37.5℃位迄、夜になると出る。
- 肛門部に痛みが有り、夜寝られない。
- 小便は夜中相変わらず10回程度。
ああ・・・。これにて我がはいの人生は終わりかと、顔面蒼白になる!!
- 平成17年11月3〜4日
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以前スタッフとして働いて頂いていた薬剤師の紹介で、ヒーリング体験も良いのでは?と勧められ、ヒーリングの会に参加。神戸行。
親子3人で一泊旅行の経験も心地よいこと。神戸の夜景を34階のレストランから眺めながら、お互い最後かも・・・の気持ち。
- 平成17年11月29日、平成17年12月27日
- 緩和ケアー受診。
- 医師もさばさばした様子で鎮痛剤の説明をしていただいた。もう仕方がない。自分の選んだ道だ。
- 平成17年、年末。 【こういう本を読んだ】
- ◎自己免疫力の増進―腰原常雄(肺癌と闘う刑事)
-
「本来人間は、病菌が侵入して来た時、免疫力が自動的に闘ってやっつけてしまうように出来ている。それには基礎体力、精神力が大事だ、先ず医療に頼らず自分の力で病菌をやっつけてしまおう、そう言った強い意志が必要だ。
「自己免疫力による病原菌の退治」これに勝る治療は無い。あと何ヶ月と告知されて何年も生きている人が、いっぱいいる。これは医学では説明出来ない。
あえて言えば誤診だか誤診で無く実際ガン細胞があっても、ガン細胞と共存して生き続けている人もいる。 - ◎自分の「個性」…ガン治療に
- 勝手気まま、自由奔放で活発、我がままだが何でも積極的に試みたり喋ったりする様な明るい個性の人程長生きしているとの調査結果有り。
- 上記を実践して行く。
- そのため、この3文字を実践することを決意。
「JBK」(丈夫で、ボケずに、コロリンコ)。 -
御世話になった方々に、又、妻、子供に感謝しつつこれ以上迷惑をかけることなく静かに逝きたい。自由奔放、勝手気まま傲慢に生きてきて、虫の良い考えだが最期は「JBK」で締めくくり三途の川を悠々と渡りたいものである。
来年が無事迎えられるかどうかわからないが、一応まとめを書く。
- まとめ
- 平成14年早々、前立腺癌発病以来、大腸がん、肺癌とこの2月で丸4年経過する事となりますが抗癌剤の服用を殆んど選択服用せずサプリメント等による自己免疫を信じ手術後の不自由さを何とか乗り越え又、薬の副作用が殆んど軽減できた為、ゴルフ会合、飲み会も普段と余り変わらず付き合いが出来た事、神と仏とご先祖様に感謝している。
- 余命3ヶ月、主治医からの宣告、大いに心に留め乍ら、自己免疫力を信じ何とか自分の病気に対しての向かって行く闘志、気力で持って1年でも2年でも長生きして家族の助けになって行こうと思う。
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3つの"ナイ"を心に決めし!
(1年前より、ガン対策として決めた事)- いやな奴(ストレスを貰う人)とは付き合わ"ない"
- 好きな酒は体調が余程不調な時以外は止め"ない"
- 去私利他の心、家族、友人に感謝を忘れ"ない"
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あの世に持って行ける物は何も無い自分の嫁さも息子も稼いだお金も全部置いて行くのだ。
最後に何が大切かというと、その人の人間性だけです。あの世にもって行けるものは人に与えた喜びだけですから以上3つをモットーにしながら、最後は"JBK"(丈夫で、ボケずに、コロリンコ)で締めくくり、三途の川を悠々と渡ってオサラバしたいと思っている。 - これが今年の締めにそう思ったことである。
- 平成18年1月元旦
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長男家族、長女家族、私達夫婦と愛犬、総勢8人で玄関での記念撮影。折々の家族撮影の度にこれが最後の正月かという思いは皆同じであろう。
お屠蘇に久々に酔ってしまう。
- 平成18年1月8日 【新聞記事を見てショックを受ける】
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NHK(PM9hより放映のガン治療、最前線にて、昨年放映の"ガンと共に生きる会"が主催を行った。"ガン患者1000人集会"。
この会を主導した(オキサリプラチン等、未承認薬を厚労省に働きかけ実現した)人が昨年春、この薬の副作用で亡くなった事、又この会の指導をした医師三浦捷一さんの訃報の記事を見た事は、私には余りにも大きなショックで自己免疫力にてかける決心、尚一層、拍車をかけた次第で有る。 -
三浦 捷一さん(みうら・しょういち=医師、ガン患者団体支援機構代表)
12月20日死去、66歳。葬儀は近親者のみですませた。自宅は公表していない。
大阪市で開業医を営みながら、自らの肝臓ガン体験を元に、医療制度改革について積極的に発言。昨年5月に大阪市内で開かれた「第1回がん患者大集会」の実行委員会代表を務めた。著書に「がん戦記末期癌(がん)になった医師からの『遺言』」(講談社)。がん患者団体支援機構(http://www.canps.net/)の代表業務は当面、會田昭一郎代表代行が引き継ぐ。 - "生きざまこそが死にざま"と西洋医学だけが治療法でないと益々感じる。
- 平成18年1月10日
- この頃から自力排尿がまったく困難になってしまう。
感覚はあるのにまったく出ない。膀胱に尿が溜まりすぎると痛みに耐えられなくなる。 - 自己導尿を開始する。
- 平成18年1月24日
- 緩和ケアーの担当医からは、あまり怖がらずにモルヒネの使用を考えてはと進言されているが、小生やはりモルヒネには抵抗感があり今のところ、ボルタレン、セデス、抗不安剤の使い分けでしのいでいる。
- 食欲旺盛。車での遠出運転にも支障がなく折り折に家内との小旅行も楽しんでいる。
勿論、導尿の器具持参は不可欠になっている。
- 平成18年2月2日
- 外科外来にて定期検査。
- CA、CEA数値は主治医は口にしたくないんだけれど、中尾さんが聞くからと結果報告を告げる。
想像はしていても、いざその数値の真実を知らされると落ち込む気持ちはどうしょうもない。抗がん剤を拒否するからか、「中尾さんはネガティブですからね。」と主治医の言葉。 - 帰途、予ねて計画していた沖縄リゾート行きを早めるべき旅行社に出向く。
- 【妻の立場から】
- 夜、息子を呼んで親子3人で鍋を囲む。諸々の気持ちはあれど、現実は受け入れなければと再確認。
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投薬を受けてないためか、美味しい食事と控えめの晩酌に楽しみを見つけている今を家族は大切にしていきたい。
2月15日は主人の66回目の誕生日、今度ばかりは大記念日として仕事に追われている私も喜んで同行しなければ・・・と少し涙です。
息子も「そうしたらいいよ。」と、お互い話題を変える。
- 平成18年2月18日
- 沖縄へ出発する。
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